2017年02月16日

【稀勢の里寛・話の肖像画・第3回】38度の熱が出ても稽古をやらされたからこそ、今がある・・・見識を広めるために、中国などに旅行に連れていってくれたことも、鳴戸親方の功績の一つでしょう

産経新聞の「話の肖像画」、今日も
「なるほど」と唸らされました。

稀勢の里のインタビュー、三日目
ですが、今回は「入門してから
鳴戸親方(元横綱・隆の里)が
亡くなるまで」です。

稀勢の里が入門した当時の鳴戸部屋
は角界屈指の猛稽古で知られていた
ことは、なんとなく、私も覚えています。

しかし、「午前4時に起きて、午後
0時過ぎまで稽古が続く」というのは
知りませんでした。

そこまで稽古をやらせる部屋は、
当時も今もないでしょう。

さらには、「38度の熱が出ても稽古を
やらされた」と稀勢の里は語っています。

今の時代、下手したら、「ブラック
企業」ならぬ、「ブラック部屋」と
言われかねません。

ですが、隆の里さんの時代では
それが当たり前だったのでしょう。

ようは、「気合」なんですよ。

つどのつまりは、「気合」。

これに尽きる。

特に若い時にはやらなきゃ。

年とってからではできなくなるん
ですから。

気が付いたら引退、の世界です
からね、角界は。

師匠の愛情です。

そんな猛稽古があったからこそ、
今の稀勢の里がある、と言っても
過言ではないでしょう。

強いですよ、こういう力士は。

「へこたれる」ことはない。

そういう指導が、今の稀勢の里の
「変わらぬ表情」であったり、
「堂々たる態度」に現れているの
ではないかと思います。

今日の記事でもう一つ、膝を打った
のが、「見識を深めるため、鳴戸
部屋の力士はよく旅行に連れて
いってもらった。中国にも」との
くだりです。

これも鳴戸親方のもう一つの功績
でしょうなあ。

稀勢の里は中学を卒業してすぐに
角界に入りました。

そして、先に触れたとおり、相撲
ばかり取っている。

ということは、仮に相撲で芽が
出なかった場合、「相撲バカ」に
仕事はありません。

また、出世した場合でも、地位が
高くなるにつれ、付き合う人々は
「偉い人」が増えていくわけです。

どちらのケースも想定して、親方は
弟子たちに見識を広めないとダメだ
と思ったのでしょう。

すごい親方ですよ。

そんな鳴戸親方は、平成23年11月に、
稀勢の里が大関とりに挑んでいた
まさにその時、急逝しました。

これも、運命だったんだろうね。

結果的に、親方急逝直後、大関に
昇進することになったわけですから。

そういうものです、世の中は。

しかし、親方が存命だったら、横綱
昇進はもう少し早かったのでは、と
いう気がしないでもありません。

やっぱり、直言してくれる人がいなく
なり、稀勢の里にとっては、「いざ」
という時に頼れる人がいなくなった
ことが、「ここ一番の弱さ」につな
がってしまったのかもしれません。

一蓮托生ですからね、親方と弟子は。

・・・明日は第4回目です。

また、当ブログでは、フォローしたい
と思います。


*貴重な「隆の里」の本とカード、
アマゾンで発売されていますので、
紹介しておきます。↓






posted by あらやまはじめ at 20:18| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 稀勢の里 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック






「いいね!」はコチラ!↓


にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村