2013年09月12日

今日は落ち着いて・・・さよなら、把瑠都

昨日は、突然の出来事に我を
忘れて、叫んでしまいました。

いや、ブログ記事の文面で
「叫ぶ」という表現はおかしい
かもしれません。

「叫ぶ文章」などあるはずも
ありません。

ですが、私はキーボードを叩き
ながら、叫んでいました。

一晩寝て、少しは落ち着きました
ので、今日私が購入したサンケイ
スポーツの6面の把瑠都引退記事を
見ながら、彼の功績を振り返って
みましょう。

その類まれな体を活かして、出世
は早かった。

初土俵から1年ちょっとで関取と
なり、2年で入幕。

しかし、改めて、彼の成績を表で
振り返ってみると、「こんなに
ケガが多かったのか」と思います
ね。

今から3年前の夏場所に大関昇進。

私が公式ブログでも絶賛した、
幕内初優勝はつい1年半前の
出来事です。

(よかったら、その時の私の
記事をご覧頂ければ・・・↓)
http://arayamahajime.seesaa.net/article/247473253.html

翌場所に綱とりがかかる把瑠都
に横綱審議委員会がかみつき、
私は怒り狂ったこともありました。

(その「怒り狂った」記事も、
よかったら・・・。↓)
http://arayamahajime.seesaa.net/article/248085355.html

優勝から一転、昨年の秋場所で
途中休場。

翌場所も強行出場するも、序盤
で途中休場。

大関陥落。

その後は、当ブログで、何度も
彼のことは書いてきました。

(まとめて、どうぞ↓)
http://sumoarayama.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%94c%97%DA%93s&vs=http%3A%2F%2Fsumoarayama.seesaa.net%2F&tid=seesaa_hotspot&hid=167&c=12&search=1&ic=shift-jis

今日のサンスポでは、元武双山の
藤島親方が「公傷制度があれば、
把瑠都はもっとできたかも」と
語っています。

そのとおり。

ですが、公傷制度は「ずる休み」
を追放するために、相撲協会が
設けた制度です。

把瑠都の早すぎる引退で、再び
クローズアップされるかもしれ
ませんが、そう簡単に復活は
ないでしょう。

「悲しいけど、けがが治らない」
と把瑠都は昨日記者会見で語り
ました。

今場所全休なら、来場所は幕下。

ちょっと古い言葉を使えば、
「プッツン」しちゃったのか
なあ。

彼は日本人力士ではありません。

「そこまでして、相撲を取らなく
ても」と思ったのかもしれません。

いずれにしても、協会の看板の
大関まで行った力士です。

決断は彼にしかできない。

今後は「エストニアの観光大使
になりたい」と語っていた
把瑠都。

まだ28歳。

可能性はいくらでもある。

親方株は持っていませんが、
持っていなくても、かつての
小錦のように活躍の場はいくら
でもあるでしょう。

残念ですが、第2の人生を頑張っ
てください、としか言えません。

さよなら、把瑠都。




ラベル:把瑠都
posted by あらやまはじめ at 14:05| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 把瑠都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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