2012年04月18日

スポーツ紙が書かない大島親方の功績

昨日「速報」と思って記事にした
「大島親方退職」のニュースですが、
今日のスポーツ紙(私は日刊スポーツ
を購入)では、予想以上に小さな
扱いで、「あれっ」と思いました。

昨日のスポーツ紙をよくよく見たら
既にニュースになっていたんですね。

失礼いたしました。

しかし、記事が小さかろうが、
その功績は消えません。

スポーツ紙が書かないなら、私が
書きます。

さて、その大島親方ですが、
元々は「大関・旭国」。

私は、当ブログの1ページ目に
「相撲観戦歴35年」と書いて
いますが、まさにその35年前
に活躍していた力士のうちの
一人が旭国だったわけです。

それも、主役級ではないに
しても、「名脇役」でしたよ。

当時は「輪湖」の時代から、
輪島にやや衰えが見え、北の湖
が「一人勝ち」になり始めた
頃で、私の贔屓力士は「二代目
若乃花」でした(そういえば、
若乃花によく勝っていたなあ、
旭国は)。

その若乃花は横綱になりました
が、旭国は大関止まりで引退
しました。

しかし、その印象は強烈で
いまだに色あせていません。

とにかく、「業師(わざし)」
でした(あだ名は「相撲博士」
でしたが)。

私も当時は小学校で仲間相手
によく相撲をとっていました
が、旭国の技は結構参考に
させてもらっていて(勝手に)、
自分で技を生み出したりも
していましたね。

また、体に小さな白い角テープ
をところどころに貼っていた
ことも印象深いですね。

小兵力士の代表とでも言い
ますか、小兵が故、ケガも
多く、長続きはしません
でしたが、それでも大関
まで昇進したことは立派
の一言。

引退後は大島親方となった
わけですが、最大の功績は
旭富士を横綱まで育て上げた
ことでしょうね。

この旭富士も、私にとっては
印象深い力士ですが(書く
とキリがないので、旭富士に
ついては、また別の機会に
しましょう)、正直横綱に
なれるとは、私は思っていま
せんでした。

しかしながら、大島親方の
指導の下、横綱まで上り詰めた。

大島親方の教えがなければ、
旭富士も横綱までは行かなか
ったでしょう。

力士として大関まで行き、
親方として横綱を育てた。

理事長になってもおかしく
ない人材でしたが、ここ数年
のごたごたで、機会を逃して
しまったことは惜しまれます。

残念ながら、親方としては
退職されますが、今後はNHK
の相撲解説などで、若手力士
を外から叱咤激励して頂きたい
ものです。

まだまだ活躍の場はあります!

大島親方、お疲れ様でした。
ラベル:大島親方
posted by あらやまはじめ at 21:52| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 相撲全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする






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